
日本補綴歯科学会会長 川添堯彬
学術委員会委員長 赤川安正
1)趣旨
21世紀の健康科学を支える歯科補綴学と補綴臨床をいっそう証明するためには,より確かな科学的根拠を集積する必要がある.そこで,補綴臨床に対して@萌芽となり,A発展させ,B成果を評価し,C医療価値を証明し,D教育効果を高めるための研究のなかで,世界先進諸国の歯科補綴学やその関連領域の研究動向ならびに補綴臨床の新しい趨勢などに照らして,とりわけ本学会学術大会や学会雑誌に発表の少ない領域・研究課題を見つけだし,10領域・課題を設定した.これらを『特定推進研究』として本学会で定め,同分野の研究を奨励・顕彰することによって,研究の振興を図り,健康科学に貢献する歯科補綴学と補綴臨床の社会的価値をゆるぎないものにする.
2)研究の10領域
1.補綴臨床疫学・EBD・テクノロジーアセスメント
2.歯科補綴学教育の改善方策(POS, PBL, OSCEなど)
3.インプラント補綴学
4.審美補綴
5.高齢者の補綴治療
6.ティッシュエンジニアリング・バイオテクノロジー
7.咬合と全身・咬合と脳
8.咀嚼と嚥下
9.歯周と補綴治療
10.新しい生体材料・新しい技術
3)研究の奨励
1.補綴誌に特定推進研究領域の解説を掲載し,会員の理解を得る(編集委員会と連携).
2.シンポジウム,特別講演などにより,会員に周知,理解や関心を深める.
3.補綴誌にこれらのテーマ論文を掲載することも検討する(編集委員会と連携).
4)研究の顕彰
1.課題口演のテーマはこの特定推進研究領域の中から,今後の学術大会3回については同一のテーマで課題口演を募集する.必要に応じて新しいテーマを追加することも検討する.
2.優秀論文賞の選考においても,特定推進研究を反映させる(優秀論文賞推薦委員会と連携).
「特定推進研究」の10領域の紹介文
日本補綴歯科学会学術委員会
1.補綴臨床疫学・EBD・テクノロジーアセスメント
これまでの補綴治療は,補綴物の生存率,治療の有効性や副作用,患者の生活の質の向上など,実際の臨床データに基づいて比較決断されてきたとは言い難い.そこで,臨床現場から得られた臨床事実(Clinical evidence)をもとに補綴治療の不確実性を軽減し,歯科医療現場において最大の利益をもたらす,臨床疫学による根拠に基づく歯科医療(Evidence-based
dentistry: EBD)が注目をあびるようになった.また,テクノロジーアセスメントとは,補綴治療の健康増進,疾病予防,治療効果,および経済・社会に与える影響を評価することであり,医療行政や政策決定に反映される.それゆえ,EBDやアセスメントを実現するために必須となる臨床事実の蓄積やその応用に関する種々の研究が奨励される.
2.歯科補綴学教育の改善方策(POS,
PBL, OSCEなど)
教育は人材養成に必須のものであり,歯科医学教育のさまざまな問題点が指摘されているなかで,歯科補綴学分野においても,卒前教育,卒後臨床研修,生涯教育の改善を不断に図らなければならない.これらの方策について,例えば,POS(Patient/Problem
Oriented System,患者/問題中心システム),PBL(Problem-based
Learning,問題解決型学習),OSCE(Objective Structured Clinical
Examination,客観的臨床能力試験)などを検討することが望まれ,これらによって歯科補綴学教育の改善の提言が可能となり,啓発を一層推進することができる.
3.インプラント補綴学
インプラント治療は歯の欠損に用いる魅力的な治療オプションであり,近い将来,さらに発展するものと考えられる.このインプラント治療は,インプラントフィクスチャーに補綴装置(上部構造)が装着され,失われた機能や審美性が長期間に渡って回復されて初めて,治療としての成果を評価できる.この点から,インプラント治療は補綴主導型で展開されるべきものであり,インプラント補綴学の確立が急がれる.それゆえ,この分野をリードする多くの研究がいま強く望まれている.
4.審美補綴
顎顔面口腔の形態と機能を回復するにあたり,色調,形態,周囲組織器官との調和など,視覚的要素を考究することは是非とも必要である.研究対象は,患者の意識・希望など心理的要素,美的感覚に対する術者と患者の見解の整合性,前処置における関連各科との連繋,新しい臨床術式の検討,当該術式における咀嚼,発音,嚥下の機能評価,新素材の評価,臨床成績の評価,術後管理など,多くの項目が挙げられる.
5.高齢者の補綴治療
様々な全身状態を呈し,あらゆる歯科補綴学・治療法,隣接医学知識を必要とする高齢者の補綴治療,そのガイドラインは何かと考えた場合,基準となるEBMに基づく臨床データ,研究データが不足しているため,現在明確なものは存在しない.とりわけ高齢者においては,歯科と他疾患/全身状態との因果などEBM的なアプローチが必要であると考えられるが,歯の喪失リスクと健康科学との関連については未だ解明されていないことが多い.歯の喪失リスクは何か.それを評価する指標は何か.現場で実践する医師,介護者や介護支援の人々,これら関係職種への啓発教育のガイドライン,すなわち患者利益に直結するエビデンスの評価指標を作ることが望まれている.
6.ティッシュエンジニアリング・バイオテクノロジー
補綴治療の本来の目的は,失われた組織を生物学的に再生させることにあるが,研究レベルがそこまで達していなかったため,その代替として生体材料に頼ってきた.近年,ティッシュエンジニアリング(Tissue engineering: 組織工学)と呼ばれる新しい技術が,組織レベルの生物学的な再生を実現するために応用され始め,歯科領域の様々な組織にも拡がってきている.そして,これらを実現するための生物学的手法がバイオテクノロジーである.これら組織再生に必要な細胞,細胞の足場,調節(成長)因子などに関する基礎研究やその臨床応用,さらにはその基礎概念をなす遺伝子工学や分子細胞生物学的な研究がいま推奨される.
7.咬合と全身,咬合と脳
全身の恒常性・機能の維持,さらには情動の維持などはヒトにとってそのQOLを保障していくうえで重要な達成目標であり,医学の一分野である歯科医学においても日常の治療を通じて何らかの関わりがあることが,いわば「伝承」として歯科医学の徒の間で伝えられてきた.そこで今後は,この「伝承」を科学的な実証性の裏付けによって解明し,特に咬合が全身や脳機能に及ぼす影響を追求することは,咬合の保持に携わる歯科補綴学領域の研究としてきわめて価値が高いといえる.
8.咀嚼と嚥下
咀嚼に関する満足度や咀嚼機能の回復度は,一般には質問表による主観的評価を用いた方法や生理学的手法を用いて研究されている.各種手法に関する検討,また補綴物の違いによって咀嚼機能に生じる影響などについての臨床研究はこれまでにも散見される.しかし,咀嚼に関する疫学調査や長期的な縦断研究は特に国内では少ない.さらに,高齢化が進むなかで増加しつつある嚥下障害者への歯科補綴学的対応は遅れていると思われ,咀嚼機能や嚥下機能の解明や評価は,歯科補綴学の重要な研究分野であることは疑いない.
9.歯周と補綴治療
補綴治療を行うに当っては,歯周組織に為害作用を与えないよう考慮するのは当然のことである.これまでも補綴物が歯肉,歯根膜,歯槽骨さらには欠損部顎堤粘膜などに及ぼす影響について,生物学的な面から種々の研究が行われてきた.しかし,補綴物を受け入れる側である歯周組織の状態については,個人差に対しての配慮が不足していたように思われる.今後は補綴前処置として口腔内の環境整備,特に歯周組織を改善するソフトティッシュマネジメントの術式や評価は重要な研究課題である.
10.新しい生体材料・新しい技術
医療用途で生体に適用される材料は生体材料と呼ばれ,歯科材料もその範疇に入る.この生体材料の二大用途は,移植材料と装置である.器官や臓器の不全に対して,従来から生体臓器移植および人工臓器で対応してきたが,近年再生医学も注目され,経済性や利便性の点からは,人工臓器いわゆる生体材料の適用に利点がある.さらに,人工臓器は本来の臓器の再現ではなく,特定の機能(光学,理学,化学)を特化することができる.補綴治療に利用される義歯は,装置の一種であるが,従来の空間確保や機械工学的機能をさらに進めて,人工臓器として高い機能性の付与が望まれる.そのためには,新しい補綴治療用生体材料の開発はもとより,コンピュータ,エレクトロニクス,メカニックス,材料工学等の先端技術を応用する治療技術も待ち望まれる.